自分の知識、経験を一度は疑うことを忘れない:移行済み

自己肯定力が高いというのは大事なこと。


ただし、自分の知識や経験に自信を持ちすぎると、少し
危険かもしれません。


自分という存在自体を肯定するのはよいことだ
けれども、私たちが持っている知識や経験は「そのとき
はたまたまそうだった」という可能性があるからです。


そこで、「決めつけない」「過信しない」ということが、
独断を避けることにつながっていくわけです。


だからこそ誰もが、自分の知識や経験を一度は疑って
みるべきだということ。


そして「相手がこう言っていたのは、悪意ではなく、
勘違いかもしれない」というように、自分に問うてみる
ことが大切です。


「我思う、ゆえに我あり」で有名な哲学者のデカルトは、
「とりあえず一切を疑ってみよ。そこから残ったものが
砂金のように真実として浮かび上がるのだ」
言いました。


つまり、疑えないのは「ここに疑っている自分がいる」
という真実だけだというわけです。


また、昔の人は神の存在を疑うことがありません
でしたが、同じ哲学者のニーチェは「神は死んだ」と
して、従来の神の“在り方”を疑ってみました。


デカルトが積み上げてきた“理性の力”も、実は練習
して積み上げたものです。

つまり、「はたしてこれは本当なのか?」と、
いちいち疑ってみるという思考の訓練をしたという
ことになります。



たとえば誰かとトラブルになって、その相手に疑いの
気持ちを持ったときにも、「あの人は本当に悪意が
あってあんなことを言ったのだろうか?」と自身を
疑ってみると、「その人はたまたま気分が悪く、強く
言いすぎただけだった」というような真実が見えてくる
こともあります。


すると、「相手は本心ではなかった」ということを理解
することが可能になるわけです。


ほんのわずかに見せた数%の部分に惑わされるような、
“本質錯覚論”に引っかかってはいけない。


だからこそ、自分の知識や経験を過信せず、「これは
○○に決まっている」などという独断をしないように
気をつけることが大切です。



参考図書:『大人だからこそ忘れないでほしい
      45のこと』
     (齋藤 孝著、ワニブックス)



最後までお読みいただきありがとうございました。

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