【本当に強い者は争わない】


老子の「上善若水」という有名な言葉の意味は
端的にいえば「水こそ最強」ということになり
ます。


老子は水に「最上の善」という意味をつけて
います。


つまり、争いを避けて生きようという提案です。


老子が生きていたのは、国同士の争いばかりで、
戦で利を得ようという生き方が一般的だった時代
です。


「人を蹴落としてでも上を目指そう」という考え
当たり前のものでした。


老子はそんな時代にあえて、
「水のように人と争わず、常に低いとこ露に
止まりなさい」と、生き方の見本として”水”を
挙げたわけです。


当然ながら、水は原則として上流から下流に、
上から下に落ちるものです。


そして下へ下へと移動し、やがて広大な海に
つながります。


なお、アドラーの「競争しない」いう
教えも、これと同じ意味にあたります。


「競争から降りて生きる」というと、負けを
認めるような気がする方もいるかもしれません。


しかし、ここには重要なポイントがあります。


考えてみるべきは、「水が流れているところに
石を落としたらどうなるか?」ということです。


いうまでもなく、水は石を避けて流れます。


いってみれば「石と戦うぞ!」と石を動かそう
とするのではなく、「他の場所を通ります」
、決して争うことをしないわけです。


しかしそうでありながら、水は少しずつ土や
石を動かして削っていき、いずれ穴を開けて
しまうこともあります。


争うことを避けながらも、実はそれだけの力を
持っています。






実体があるもののなかで、なによりも
柔らかいのに、なによりも強い」水のように、
「争うことなく低いところに止まる」ことが、
なによりも素晴らしい生き方だと思います


自利利他」とは、言葉どおり2つで1つ」だと
いうことです。


最澄は、「自利とは利他を言う」といっています。


つまり「他人の利益のために努力すれば、それは
いずれ自分にも返ってくる。だから利他を積極的
にしましょう」
ということになります。


アドラーの言葉でいえば「他者貢献」がこれに
相当します。


だからこそ、無理に他者のために生きる必要はない
いえます。


なぜなら、自分のためにやることが、他人のため
なるからです。


自利だと思っていたことが、実は利他。


誰かのためにやるのではなく、ただ自分の感情を
満たすためにやる。


しかし、それは自然と利他につながる。


これこそが、無理に他人のためにがんばる必要は
ないという考え方に至ります。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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