AI時代に想定される「学歴社会の崩壊」(移行済み)

20世紀の工業社会の時代は、はるか彼方の過去のもの。


現在の21世紀初頭の日本社会は、すでに情報社会、
知識社会をも超え、「高度知識社会」と呼ぶべきものに
なっています。


しかし、そうであるにもかかわらず、現在の我が国の
教育制度は、いまだに工業社会における人材育成の
パラダイム(基本的枠組み)から脱することができて
いないのも事実です。


たしかに20世紀の工業社会を振り返ってみれば、
我が国の教育制度の下で生まれてくる「高学歴」の
人材は、仕事においても優れた能力を発揮する人材
でした。


いってみれば「勉強ができる」ということが、そのまま
「仕事ができる」ということを意味した時代であったと
いうことです。


しかし、21世紀の高度知識社会においては、現在の
我が国の教育制度の下で生まれてくる「高学歴」の
人材は、必ずしも、仕事において優れた能力を発揮
する人材ではなくなってきている。


なぜなら、高度知識社会とは、絶え間ないイノベー
ションが続く社会であり、大企業や大組織よりも、
ネットワーク的に結びついた個人が活躍する社会で
あり、魅力的な夢や志を語り、人間関係力や人間力に
よって仲間を集め、優れた仕事を成し遂げていく
リーダーシップが求められる社会だからです。



したがって、これからの高度知識社会において活躍
する人材とは、たとえば、

「イノベーション力」

「ネットワーキング力」

「リーダーシップ力」

といった力を発揮できる人材だということ。


しかしながら日本の現在の教育制度は、高度知識
社会に必要とされるこうした人材を育てる制度には
なっていません。


そのため、現在の社会においては、「高学歴の人材」
が期待ほどに活躍できないという現象がしばしば
起こっているからです。


別な表現を用いるなら、「勉強ができる人材」が「仕事
ができる人材」を意味しない状況になっていると
いうこと。


高度知識社会において「仕事ができる人材」になって
いくためには、「学歴」に安住することなく、「勉強が
できる」という能力に慢心することもなく、職業の
現場で求められる高度な能力を身につけ、磨いて
いくことが必要になります。


それが「学歴社会の崩壊」という意味であり、
「能力を磨く」ことが求められます。



参考図書:『能力を磨く AI時代に活躍する人材
「3つの能力」』(田坂広志 著、日本実業出版社)



最後までお読みいただきありがとうございました。

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